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2009/07/11 (Sat) 鬼頭莫宏と『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』

ネタバレ注意 今回は物語内容に踏込みます。とはいえ印象批評(=感想)ですので、物語の核心に迫ることはありません。

 先日4回目の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を見た。短期間にこれだけ見ると、次に映し出されるシーンと音楽があらかじめ脳内で再生される。バーチャルがリアルに浸食されて行くのは心地よい。お約束の安心感。次回予告が終わり、帰ろうとすると、隣に座っていた高校生くらいの女の子が「エグかったー」と呟いた。

デザインワークス 鬼頭莫宏

 1回目に見た時から気になっていたことがあった。スタッフロールに「鬼頭莫宏」の名前があったことだ。パンフレットによると、第3使徒のデザインを担当しているという。



― 第3使徒のデザインは『ぼくらの』の鬼頭莫宏さんですよね
鶴巻 そうです。あれには庵野さんの大ラフがあるんですけど、ほとんど鬼頭さんから出たアイデアがほぼ一発で決定みたいな感じでした。
            『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 パンフレット』(2009/6)より




 鬼頭莫宏と言えば、「新世紀エヴァンゲリオン」(1995-1996)のフォロアーとして有名な漫画家であり、『なるたる』(1998-2003)では「濃度」、『ぼくらの』(2004-2009)では「量」でもって少年少女が世界を背負わされる物語(「セカイ系」)をグロテスクに描いた。以下、簡単なあらすじ()。

 ※意図的に誤解を招く表現をしている部分があります

『なるたる』(全12巻、講談社)
 小6の玉依シイナは、夏休みに謎の生命体「ホシ丸」と出会う。ホシ丸は世界に散らばる「竜の子」の1体であり、少年少女の意識とリンクすることで、リンク者の思うがままに操ることができる。ホシ丸と「リンク」したシイナは、竜の子を使って世界をリセットしようと企む子供たちの存在を知る。

『ぼくらの』(10巻まで刊行中、小学館)
 中1の夏休み、自然学校に参加した14人(+1人)の子供たちはココペリと名乗る謎の男と契約を結ぶ。その契約とは、巨大ロボットを操縦し地球を襲う15体の敵を倒すというものだった。面白半分で契約した子供たちだったが、1体目の敵を殲滅後、ロボットの操縦は生命力と引き替えであること、そして負ければ地球が滅びることを知る。

 鬼頭の描く世界は圧倒的な悪意で満ちており、その悪意が暴力(性暴力)となって容赦なく子供たちの尊厳や生命を奪う。物語が終盤になるに従い世界は破綻し、前半のメルヘンな世界観(「ぼくらの」のメルヘンは冒頭部に限られる)との落差がカタルシスに結びつく。両作品ともアニメ化されているが、性描写や残虐なシーンはカットされた。
 エヴァも旧劇場版に関してはそのような破滅傾向が見られるものの、基本的には「強度」ではなく「意味」によるカタルシスという享受が中心だった。それゆえに数え切れないほどのエヴァ解説本が出版された。
 ところが、今回の「破」は、初日のエントリーで「意味から強度へ」(今更この言葉を使うのは気が引けるが)と記したように、受ける印象が180度転換した。そして、冒頭にあげた女の子の呟き。

 正直な話、1度目の鑑賞時は第7使徒()のデザインを見て鬼頭莫宏っぽいなと感じた。だからスタッフロールで名前が出た時には驚きと言うより「やっぱり」という感想を持った。そらから現在までに4回見ているが、鬼頭が関与したという情報を得てしまうと、そのフィルターを通して作品を見ることとなる。
 例えば、タイトルにもなっているし、インタビューでも言われているが、徹底的な(暴力による)物語の破壊とカタルシス。従来エヴァはエグいと言われる作品ではなかった。エグいシーンにも、そのエグさを封じ込める強烈な「意味」があった。エグかったのは救いのない理不尽さを描く鬼頭の作品である。
 そして、入れ替え可能性の問題。『新世紀エヴァンゲリオン』がポストモダン的な、設定の積み重ねによる「枠組」に過ぎない(だからこそ意味を伝える器として適していた)ことは、最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」で制作者自らが同人作品的(もう一つの世界)な演出をやって見せたことからも明らかであるが、『ぼくらの』もまたエヴァ以上にその傾向の強い作品であった。
 アニメ版(2007)は監督が原作に準拠しないことを明言し、基本的な設定以外は監督の解釈が優先されており、物語は破壊後再構成された。また、大樹連司によるノベライズ(全5巻、2007-2008)も副題に「alternative」とあるように、設定を借りてもう一つの世界を描く。

 ※実際はコヤマシゲトと小松田大全によるデザイン

 このように書くと、エヴァを巡る現象が、鬼頭を経て「ヱヴァ」として再構築されたと主張しているように見えるかも知れない。だが、ヱヴァ破が鬼頭の影響を受けていると指摘したいわけではない。エヴァ的セカイ系を自分なりに解釈し物語に昇華させた鬼頭が、それと同じような手続きを踏んで生み出されたヱヴァと邂逅した。興味深い話だよね、っていう、それ以上でも以下でもない、ただの感想。


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鬼頭さんの 

はじめまして

エヴァ劇場版のスタッフロールで
鬼頭さんの名前を見、???と思ってたら
ここにたどりつきました。

おかげでナゾは解けました、ありがとうございます。

そういえば鬼頭さんはエヴァ設定のリサイクラーだったん
ですね。ここで言及されているのを見るまで
気づきませんでした(笑)

それでは、お目汚し失礼しました。

2009/07/25 02:27 | yonoi [ 編集 ]


 

>>yonoiさん

はじめまして。

「なるたる」はよく批評なんかでエヴァに端を発したセカイ系の系譜として論じられます。「ぼくらの」ほどあからさまではありませんが、「なるたる」をよく読めばエヴァの影響がそこかしこに…。

2009/07/25 03:25 | 此ぬし [ 編集 ]


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