--/--/-- (--) スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |


2009/11/22 (Sun) 「SAW6」を観てきました。

 SAWのシリーズテーマ 「人間は死に直面しないと生の価値が分らない」

 ついさっき「SAW6」を見てきました。0時15分~というレイトショーです。
 記憶が鮮明なうちに所感を書いておきます。ネタバレ無し(のつもり)。


 どんでん返しとゴア描写でお馴染みのソリッドシチュエーションスリラー最新作。例によってこれまでの作品と時間軸がクロスしまくるので、シリーズの流れを把握していないとついて行けない可能性が高いです。初見だと何の説明もなく次々と出てくる登場人物に「こいつ誰?」、随時挟まれるフラッシュバック的な回想シーンに「今の何?」の連続になるかと。

 配給側もその辺りを考慮して、作品の冒頭に「SAW集編」という1~5のダイジェストムービーが流れることを売りにしています。ですがこの総集編、駆け足過ぎて何が何だか分りません。これなら登場人物の紹介をした方が良いような・・・(何もないよりはマシなのか?) さらに制作側も意識しているようで、ゲーム参加者の背景がこれまでより丁寧に描かれています。本筋の「こいつはこんな悪いことをした→だからゲームに参加して罰を受けなければならない」という流れは同じですが、新たに登場する人間関係が分りやすくなったのは助かります。かといって、やはり初見で楽しめるかどうかは微妙ですがw

 上に書いたシリーズテーマですが、毎度のようにジグソウの回想を入れてアピールしてますが、ゲームプランナーがアレなのでこんなのはクソ喰らえみたいになってます。ゲームの内容もアンフェアかつサディスティックな傾向が強いです。まぁアンフェアに関しては、人生ってそんなもんですからね。ゴア描写は3~5より緩和(冒頭は相変わらずですがw)されて一安心。

 残念だったのは本来のプレイヤーのゲームが、当事者の置かれた状況のせいでまともに機能していないこと。結局ゲーム内容は無視して感情だけで決めてしまったように見えました。いや、正確には把握できていたのかも知れませんが、そのように解釈できる描写がありませんでした。これもアンフェア同様、人間は極限状況だと理性より感情が勝ちそうなので、リアルだと言えなくもないですが。アンフェアと言えば、どんでん返しのミスリードの仕方。母親の「○○のせいよ」(微バレなので反転)って台詞は反則ですw

 あと、背景知識としてマイケル・ムーアの「シッコ」を先に見ておくとより入り込めるかと。アメリカは日本のような国民皆保険では無いので、保険会社の果たす役割は重要なのですが、実情は・・・というお話。今回のゲームと、ジグソウの動機の一端を担う要素になってます。

 最後に、シリーズを通して見ていてどうするか迷っている人は行くべきです。これまでの伏線がかなり回収されます。あの子の手紙や、彼の遺品など。ただ、SAW7はメガネ泣かせの3D映画と言うことで・・・まいったなぁ(^^ゞ

スポンサーサイト

映画・音楽 | trackback(0) | comment(0) |


2009/11/21 (Sat) イングロリアス・バスターズ 公開

inglourious3.jpg

inglourious2.jpg

 昨日封切られた映画「イングロリアス・バスターズ」の前売特典。「イングロリアス・バスターズ」版コエダリアン(※)。全2種類をコンプリートしたかったので、相手がいないのにペアチケットを購入してしまったw

 海外で「キル・ビル」(2004)や「パルプフィクション」(1994)を越える大ヒットを記録したクエンティン・タランティーノ監督の最新作。ネタバレを避けるためあまり前情報は仕入れてないけど、5つのチャプター(計153分)から構成されていて、その中にナチに家族を皆殺しにされた少女の復讐劇であるとか、ブラピ率いるナチス殲滅部隊バスターズの闘い、数百人を一人で撃退したスナイパーの話なんかが描かれているらしい。興行収入だけでなく評価も上々で、IMDb(international movie database)では8.6/10点(86712人が投票)。参考までに他の作品を下に。タランティーノは大好きだけど、ここ2作は微妙だったので楽しみだ。

  タランティーノ監督作品一覧 末尾の数字はIMDbスコア

  1994 レザボア・ドッグス 8.4
  1995 パルプ・フィクション 8.9
  1995 フォー・ルームス 6.3 (4人の監督のオムニバス)
  1997 ジャッキー・ブラウン 7.6
  2003 キル・ビル vol.1 8.2
  2004 キル・ビル vol.2 8.0
  2007 デス・プルーフ 7.2
  2009 イングロリアス・バスターズ 8.6

※コエダリアンとはタカラトミーが提唱する「大人のためのこえだちゃん化計画」によって生み出されたキャラクター。1977年に発売された子供用玩具「こえだちゃん」のセルフパロディ。コエダリアンという名称はこえだちゃん+エイリアンから。



【オマケ】最近よく見るコピペ。真偽は不明。ツイッターは文字制限にひっかかる。

95年「ここ数年で一番出来が良い」
96年「10年に1度の逸品」
97年「1976年以来の品質」
98年「10年に1度の当たり年」
99年「品質は昨年より良い」
00年「出来は上々で申し分の無い仕上がり」
01年「ここ10年で最高」
02年「過去10年で最高と言われた01年を上回る出来栄え」「1995年以来の出来」
03年「100年に1度の出来」「近年にない良い出来」
04年「香りが強く中々の出来栄え」
05年「ここ数年で最高」
06年「昨年同様良い出来栄え」
07年「柔らかく果実味が豊かで上質な味わい」
08年「豊かな果実味と程よい酸味が調和した味
09年「50年に1度の出来栄え」

映画・音楽 | trackback(0) | comment(0) |


2009/11/07 (Sat) サマーウォーズ 最終日鑑賞

 前売り券を買って放置していた「サマーウォーズ」。「時をかける少女」の細田守監督の最新作で、キャラクターデザインはエヴァでお馴染みの貞本義行。

【所感】 ってかあらすじと思ったことを適当に。ネタバレあり。

 物語の舞台は「OZ」という仮想都市(≓インターネット)が現実と平行して広がる世界。この世界における「OZ」と「現実」は私たちの世界よりも結び付きが強く、人々は「OZ」内にアバターと呼ばれる分身を持ち、「OZ」を通してゲームやショッピングだけでなく、公共・医療サービスの利用や、税金の支払いまで行なうことが出来る。「OZ」のセキュリティは完全無欠と思われていたが、意志を持った人工知能「ラブマシーン」がある手段を用いてこのセキュリティを突破し、アバターを吸収しながら現実世界への攻撃を開始する。

 大筋はこんな感じ。現実と仮想現実(ネット)に対するよくある警句。現実の方が持ち上げられるのも定番。設定としては安易な気がするけど、もっと早く見るべきだったと後悔するほど面白かった(最終回だから再度見られないという意味で)。キャラクターの魅力。中だるみのない脚本。家族の絆というベタなテーマ。分りやすい勧善懲悪。そういえばこの映画を見て韓国映画「グエムル」を思い出した。韓国版ゴジラ。ゴジラは怪獣対軍隊という構図だけど、「グエムル」は怪物に家族が立ち向かう。

 「サマーウォーズ」では「家族の絆」がラブマシーンへ闘いを挑む。内容は割愛するが、少林寺拳法から花札のコイコイまで。(御都合主義全開で)最終的にラブマシーンが敗れ平和を取り戻す。終戦→エンドロールにかけて「OZ」のその後は描写されず、温泉が湧き出る田舎の風景で終わる。花札、田舎、大家族、温泉。「OZ」に対比するように日本的なイメージが強調されているため、懐旧的な文明批判映画っぽいが、結局「OZ」を救ったのは「見知らぬ人々との繋がり(絆)」、さらに用意された泣き所もここなわけで、そう考えるとそんな単純な話でもない。Blu-ray版が出たら考察してみようか。

【気に入ったキャラ】 陣内侘助と池沢佳主馬

 侘助は曾祖父と愛人の子で陣内家に養子に来た。10年前に資産を持ち逃げし行方不明になった。東大卒で天才的な頭脳を活かし人工知能を研究。海外で成功を収め巨万の富を陣内家へ持ち帰る予定だった。軽薄で無愛想ながら、実は誰よりも栄おばあちゃんを愛しているというベタな設定だが、キャラデザインのおかげでそんなことを感じさせないw エヴァの加持さんがパワーアップしたような(加持さん失礼

 佳主馬は愛知県名古屋市在住のオタク少年。髪型と声から女かと思った。ってか最後まで女だとw 初登場時、親戚の集まりから孤立しひとりでPCをいじる。実はOZ界の格闘ゲーム(曰くゲームではなくスポーツ)のチャンピオンで、作中ではキング・カズマというアバターを操ってラブマシーンと戦う。

※歳のせいか、薄れゆく記憶の糸をたぐりながら書いておりますので、記憶違い等あるかと思います。御了承被下度。



【雑記】「ベヨネッタ」のサントラ購入。5枚組で5000円。7人のコンポーザー。36ページのライナーノーツは150曲全ての解説付き。購入費用は「鉄拳6」を売ってw

映画・音楽 | trackback(0) | comment(0) |


2009/08/14 (Fri) サマーウォーズの前売券

サマーウォーズ

 「サマーウォーズ」 / 「時をかける少女」の細田&貞本コンビの新作

 前売り券買って、特典のプレガイドブック読んでwktkしてたのにまだ見に行っていません。普段は前売りを買ったら初日に行くようにしてますが、今回は公開初日が帰省日と重なってしまい、出鼻をくじかれた格好でそのままだらだら今日まで放りっぱなしになってました。巷では大評判だそうですね。先日九州横断した知人が、昨日名古屋の映画館に出かけたら満席で見られなかったと嘆いていました。

 興味を惹かれたのは「OZ」というセカンドライフを彷彿させる仮想世界。サマーウォーズの世界では、高齢者から乳幼児までがOZのアバターを保持し、OZが生活に溶け込んでいるのだとか。現実より一歩進んだこの設定が、どのように活かされているのか楽しみです。

 ちなみにバーチャルリアリティをテーマにした映画は「マトリックス」を筆頭に数多くあるのですが、私が一番好きなのはデヴィッド・クローネンバーグ監督の「イグジステンズ/eXistenZ」(1999)。クローネンバーグにしてはグロさが控えめ()だし、ジュード・ロウはイケメンだし、ストーリーも分かりやすいので、面白い映画を探している方はぜひ。

※ゲームのバイオハザード程度のグロさはあります



Amazonの商品紹介より

天才ゲームデザイナーのアレグラが、新作ゲーム「イグジステンス」の発表会でトラブルに巻き込まれる。青年テッドに支えられ脱出した彼女は、テッドに新ゲーム「イグジステンス」を試そうと提案。それは脊髄に有機生命体のゲーム端末を差し込んで、ゲームの世界へトリップするというものだった。




 チケットをはさんでいるのは「ファイナルファンタジークリーチャーズファンブック2」の付録「フロラフルル」(FFX-2のユウナスペシャルドレス)。監修(原型ではない)は竹谷隆之氏。クリーチャーズは12月に新シリーズが出るようです。以前は1パック300円でしたが、今回は800円。単色塗装版(クリスタル、メタリックといった販売価格を下げるために混入させる塗装無しのハズレ)の廃止&クオリティがアップしているとはいえ、ブラインドで手を出すのは勇気が要る価格です。それにしても、最初に画像を見た時はティアマットがキングギドラに見えましたw
 参考ページ(あみあみ通販)

映画・音楽 | trackback(0) | comment(0) |


2009/07/11 (Sat) 鬼頭莫宏と『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』

ネタバレ注意 今回は物語内容に踏込みます。とはいえ印象批評(=感想)ですので、物語の核心に迫ることはありません。

 先日4回目の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を見た。短期間にこれだけ見ると、次に映し出されるシーンと音楽があらかじめ脳内で再生される。バーチャルがリアルに浸食されて行くのは心地よい。お約束の安心感。次回予告が終わり、帰ろうとすると、隣に座っていた高校生くらいの女の子が「エグかったー」と呟いた。

デザインワークス 鬼頭莫宏

 1回目に見た時から気になっていたことがあった。スタッフロールに「鬼頭莫宏」の名前があったことだ。パンフレットによると、第3使徒のデザインを担当しているという。



― 第3使徒のデザインは『ぼくらの』の鬼頭莫宏さんですよね
鶴巻 そうです。あれには庵野さんの大ラフがあるんですけど、ほとんど鬼頭さんから出たアイデアがほぼ一発で決定みたいな感じでした。
            『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 パンフレット』(2009/6)より




 鬼頭莫宏と言えば、「新世紀エヴァンゲリオン」(1995-1996)のフォロアーとして有名な漫画家であり、『なるたる』(1998-2003)では「濃度」、『ぼくらの』(2004-2009)では「量」でもって少年少女が世界を背負わされる物語(「セカイ系」)をグロテスクに描いた。以下、簡単なあらすじ()。

 ※意図的に誤解を招く表現をしている部分があります

『なるたる』(全12巻、講談社)
 小6の玉依シイナは、夏休みに謎の生命体「ホシ丸」と出会う。ホシ丸は世界に散らばる「竜の子」の1体であり、少年少女の意識とリンクすることで、リンク者の思うがままに操ることができる。ホシ丸と「リンク」したシイナは、竜の子を使って世界をリセットしようと企む子供たちの存在を知る。

『ぼくらの』(10巻まで刊行中、小学館)
 中1の夏休み、自然学校に参加した14人(+1人)の子供たちはココペリと名乗る謎の男と契約を結ぶ。その契約とは、巨大ロボットを操縦し地球を襲う15体の敵を倒すというものだった。面白半分で契約した子供たちだったが、1体目の敵を殲滅後、ロボットの操縦は生命力と引き替えであること、そして負ければ地球が滅びることを知る。

 鬼頭の描く世界は圧倒的な悪意で満ちており、その悪意が暴力(性暴力)となって容赦なく子供たちの尊厳や生命を奪う。物語が終盤になるに従い世界は破綻し、前半のメルヘンな世界観(「ぼくらの」のメルヘンは冒頭部に限られる)との落差がカタルシスに結びつく。両作品ともアニメ化されているが、性描写や残虐なシーンはカットされた。
 エヴァも旧劇場版に関してはそのような破滅傾向が見られるものの、基本的には「強度」ではなく「意味」によるカタルシスという享受が中心だった。それゆえに数え切れないほどのエヴァ解説本が出版された。
 ところが、今回の「破」は、初日のエントリーで「意味から強度へ」(今更この言葉を使うのは気が引けるが)と記したように、受ける印象が180度転換した。そして、冒頭にあげた女の子の呟き。

 正直な話、1度目の鑑賞時は第7使徒()のデザインを見て鬼頭莫宏っぽいなと感じた。だからスタッフロールで名前が出た時には驚きと言うより「やっぱり」という感想を持った。そらから現在までに4回見ているが、鬼頭が関与したという情報を得てしまうと、そのフィルターを通して作品を見ることとなる。
 例えば、タイトルにもなっているし、インタビューでも言われているが、徹底的な(暴力による)物語の破壊とカタルシス。従来エヴァはエグいと言われる作品ではなかった。エグいシーンにも、そのエグさを封じ込める強烈な「意味」があった。エグかったのは救いのない理不尽さを描く鬼頭の作品である。
 そして、入れ替え可能性の問題。『新世紀エヴァンゲリオン』がポストモダン的な、設定の積み重ねによる「枠組」に過ぎない(だからこそ意味を伝える器として適していた)ことは、最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」で制作者自らが同人作品的(もう一つの世界)な演出をやって見せたことからも明らかであるが、『ぼくらの』もまたエヴァ以上にその傾向の強い作品であった。
 アニメ版(2007)は監督が原作に準拠しないことを明言し、基本的な設定以外は監督の解釈が優先されており、物語は破壊後再構成された。また、大樹連司によるノベライズ(全5巻、2007-2008)も副題に「alternative」とあるように、設定を借りてもう一つの世界を描く。

 ※実際はコヤマシゲトと小松田大全によるデザイン

 このように書くと、エヴァを巡る現象が、鬼頭を経て「ヱヴァ」として再構築されたと主張しているように見えるかも知れない。だが、ヱヴァ破が鬼頭の影響を受けていると指摘したいわけではない。エヴァ的セカイ系を自分なりに解釈し物語に昇華させた鬼頭が、それと同じような手続きを踏んで生み出されたヱヴァと邂逅した。興味深い話だよね、っていう、それ以上でも以下でもない、ただの感想。


映画・音楽 | trackback(0) | comment(2) |


| TOP | next >>

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。